acanicoダイアリー

一人前のITエンジニア目指して修行中の大学院生の日記と考察。

金沢大学コミュニティーガーデンの謎

こんにちは。acannie です。

この間、金沢大学角間キャンパスから帰る途中、大学敷地内の深い茂みの中にジャングルジムのようなものを発見しました。

気になったのでいろいろ調べてみたまとめ日記です。

ジャングルジムの発見

山側環状線から金沢大学角間キャンパスに繋がる道路は二つあります。
一つは、金沢井波線(杜の里通り)。人通りも車通りも多い、角間キャンパスへ向かうメインストリートです。
そしてもう一つが、芝原石引町線から曲がって入っていく道。入り口は住宅街の中にあるためわかりづらく、人通りもあまり多くない印象です。(以下、「裏側の道」。)
私自身も普段は金沢井波線を利用していますが、大学から直接バイト先に向かうときだけ裏側の道を利用しています。

2020年冬の某日、裏側の道の脇の茂みの中に白いジャングルジムのようなものを二つ発見しました。
それぞれに赤と黄色の滑り台のようなものがついています。
奥に古びたベンチと案内板のようなものが見えました。

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朽ちてなお咲き続けるモクレンの花が悲しいです。
今まで一度も気づかなかったのは、緑の少ない冬の季節(かつ雪が積もっていない)でなければ生い茂っている蔦の葉に覆われて見ることができなかったためでした。
さらに金沢大学寄りの方には、スタジアムのような円形の広場と数本の柱のようなものが見えました。

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これらの領域は柵・壁で囲まれていて近づくことはできません。

地図から

公園を見かけた場所を Google マップで調べてみました。

初めて調べたときは、「公園」という名前(直球)になっていましたが、数日後改めて調べてみると「金沢大学コミュニティーガーデン」に変わっていました。
航空写真に切り替えると、深く緑に覆われていることがわかります。

Google マップ上で金沢大学一帯の灰色の領域内に位置していることからも、金沢大学の施設であると推測できます。

そこで、

  • 金沢大学 コミュニティーガーデン
  • 金沢大学 公園
  • 金沢大学 廃墟

などと Web 検索をかけてみるものの、それらしい情報は見事に一件もヒットしませんでした。

ところで、金沢大学角間キャンパスが運営され始めたのはおよそ30年前のことです。
1989年に文系学部が丸の内キャンパスから郊外の角間に移転しました(総合移転第I期)。このとき開発された地区を角間地区と呼びます。
続いて2005年に理工系学部が小立野キャンパスから移転し統合されました(総合移転第II期)。このとき開発された地区を角間II地区と呼びます。

「金沢大学コミュニティーガーデン」は角間第II区に属しているので、移転開発と同時に開園されたのであれば開園は2005年頃だったのではないかと予想しました。それとも、公園はもっと昔から存在していて、金沢大学が用地を買収した後放置していたのでしょうか?

国土地理院の Web サイト及び Google Earth Pro で過去の空中写真と併せて調査してみました。

  • 1997年10月9日。
    まだ角間II地区の開発は始まっていないようです。公園らしき姿も見えません。

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出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

  • 2002年9月20日
    角間II地区の開発はかなり進んでいます。円形の広場と数本の柱が見えます。
    ジャングルジムらしき白い影二つとその周りに秩序正しく並べられた木々も見えます。
    公園はほぼ完成しているようです。

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出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

  • 2007年代。
    2021年現在では既に緑に覆われている場所に車が何台も駐車されています。
    まだ廃墟化していないようです。

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出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

  • (追記)2009年5月に投稿された貴重な動画。 左手に工事中のコミュニティーガーデンが見えます。 まだ綺麗ですっきりして見えます。

    また、造成中の道路を挟んで向かい側の土地も、芝生のように整えられています。 現在はこの土地もコミュニティーガーデン同様鬱蒼としています。

  • 2009年10月。
    自然科学研究所に続く道が整備されたようです。

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出典:Google Earth Pro

航空写真はこの先2014年まで見つかりませんでした。

  • 2012年9月のストリートビュー
    2021年現在の風景と変わらず、人が立ち入れる状態ではないように見えます。

  • 2014年4月。
    円形広場中央部に長く伸びた草やジャングルジム付近の茶色く汚れた地面を見るに、既に長く手入れされていないようです。
    比較的緑がぼうぼうになっていないように見えるのは、撮影時期がまだ4月だからということもあると思います。 これ以降の航空写真では緑がどんどん無秩序に増えていきます。

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出典:Google Earth Pro

移転計画資料から

1997年時点で公園が存在していなかったことから、公園は大学が買収した土地に既にあったわけではなく、総合移転第II期の開発時に造園されたようです。

「金沢大学 移転」で検索をかけてみると、2001年発行の「金沢大学50年史 通史編」がヒットしました。
そして「第 7 章 総合移転」内で、初めて「コミュニティーガーデン」の文字を発見することができました。

第II調整池下流の谷あいは、国際交流ゾーンに隣接し、角間キャンパスと土地整理組合が整備予定の大学門前街が接する位置にある。この谷には、角間キャンパスで最も水量が豊富できれいな水が流れている。この清流を活用し、薬学部附属施設の薬用植物園を設置し、一般にも公開し、地域と大学との南地区におけるふれあいの場「コミュニティーガーデン」として計画する。

出典:金沢大学50年史 通史編

また、2015年発行の「金沢大学キャンパスマスタープラン 2015」においてはコミュニティーガーデン内の池が「第2調整池」と名づけられ、コミュニティーガーデンはビオトープとしての活用が計画されていることがわかりました。

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出典:金沢大学キャンパスマスタープラン 2015 -地域と世界に開かれた個性輝くキャンパスづくりのために-

ここで、調整池とは、

調節池とは洪水を一時的にためておくことで、下流部へ流れる洪水の量を減らし、安全な流れを保ちます。

出典:調節池 | 荒川上流河川事務所 | 国土交通省 関東地方整備局

ビオトープゾーンについては、下記のように概要説明がありました。

ビオトープゾーン】
キャンパス造成時に整備した調整池を中心としてビオトープを整備している。角間の里、第一調整池を中心とし、地域に開かれた水辺の自然空間とした「ゲストガーデン」、南調整池を中心として多くの野鳥が観察できる環境とした「バードサンクチュアリ」等がある。

出典:金沢大学キャンパスマスタープラン 2015 -地域と世界に開かれた個性輝くキャンパスづくりのために-

ビオトープゾーンの概要説明では第2調整池については触れられていません。
同出典の2020年発行版「金沢大学キャンパスマスタープラン 2020」においても記載は変わっていませんでした。
この2015年から2020年の5年間で方針や進捗に変化はないみたいです。

また、「金沢大学50年史 通史編」より下記に沿革を抜粋します。

1996(平成8)年 5月 総合移転第II期計画事業に係る「基本設計」に着手
1997(平成9)年 3月 総合移転第II期計画事業に係る「基本設計」が完了
1997(平成9)年 5月 総合移転実施特別委員会が「部局配置計画」(総合移転第II期計画事業関係)を策定
1998(平成10)年 3月 総合移転第II期計画事業用地造成工事(第1調整池)の着工
1998(平成10)年 4月18日 「総合移転第II期整備工事起工式」を挙行
1998(平成10)年11月 第2調整池工事の着工
1999(平成11)年 3月 第II期計画事業敷地造成工事の着工
2000(平成12)年 1月 第1調整池の工事完了
2000(平成12)年 6月 第2調整池の工事完了

出典:金沢大学50年史 通史編

第2調整池の着工は1998年11月、工事完了は2000年6月であることがわかりました。

「金沢大学50年史 通史編」が発行された2001年8月31日の段階では、コミュニティーガーデンの造園は「計画」と称されています。第2調整池が完成した少し後の2001年から2002年ごろに金沢大学コミュニティーガーデンが完成したと考えると、地図から得られた情報と矛盾がありません。

わかったことまとめ

道の脇で見かけた廃公園について、今回の調査からわかったことをまとめます。

  • 廃公園の名前は「コミュニティーガーデン」である。
  • 金沢大学の所有物である。
  • 金沢大学総合移転第II期の2000年~2002年頃に造園された。
  • 2000年代後半~2010年代前半に閉園した。
  • 総合移転第II期に作られた調整池を活用しビオトープを作ろうとしていた。
  • 地域と大学とのふれあいの場にしたかった。

もっと知りたいこと

今回はネット調査しかしてないためか、結局わからないことのほうが多かったです。今度大学の図書館でしっかり調べてみたいなーと思っています。

疑問点・課題点を整理してみます。

  • 情報が見つからない理由

本当に情報が見つかりません。

大学公式の移転計画資料を見ると、図面上にはしっかり円形広場が見られるものの、コミュニティーガーデンに関して意図的に説明を省いているような箇所がよく見られました。
気軽にイメージしてはみたものの、具体的に計画する段階になってみるとあまり積極的に考える余裕がなかったとかでしょうか。

地域の親子が遊びに来ていてもおかしくない位置なのでブログや SNS も含めて検索しましたが、「遊びに行った」「知っている」等の声や写真は一つも見つかりませんでした。
インターネットが一般人に普及する前に閉園してしまったのでしょうか?

  • 閉園した理由

開園から閉園までほんの10年程度であったと考えられます。
すぐに閉園してしまった理由が気になります。

  • 閉園した時期

はっきりとした閉園時期はわかりませんでした。 2016年頃の航空写真と比較すると、2021年現在の方がかなり緑による侵食が進んでいます。
つまり2016年時点ではまだ侵食されきっていなかった(=極めて長い時間は経っていなかった)のではないかと考えています。

  • にも関わらず一旦は造園された理由

それでも、綺麗に木々が植えられ、遊具・ベンチ・案内板が設置され、広場が作られた時期があった理由は?

  • 広場の正体

円形に整備されたスペースは広場だったのでしょうか?
中央に高い柱が6本立っています。
何のための設計か全く想像がつかないので、気になります。

  • 廃墟化する前の写真が見たい

管理されていた時代のコミュニティーガーデンが見てみたいです。
ビオトープ沿いに小道を歩くと小さな公園に辿り着いて、さらに奥へ進むと神殿のような不思議な広場に出るなんて、想像したら神秘的で素敵な場所だなあと思います。

  • 公園を囲む柵

コミュニティーガーデンは、レンガの壁、コンクリートの壁、比較的新しそうな鉄の柵でつぎはぎに囲まれています。継ぎ目は歪です。何かの名残でしょうか。特にレンガの壁は古そうだし公園を斜めに遮る形で違和感があるので、いつ何のために建てられたものだったのか知りたいです。

今回 Google マップで調査を始めたときは「公園」とだけ名づけられていたものが、あるタイミングで「金沢大学コミュニティーガーデン」に変わりました。
コミュニティーガーデンを知っている誰かが名称の修正依頼を出したのでしょうか。また、どのような証拠があったのでしょうか。

お願い

もしコミュニティーガーデンについてご存知の方、整備されていた時代からご存知の方、行ったことがある方、写真をお持ちの方。いらっしゃったらコメントください!お話聞きたいです!写真が見たいです!!><
ぜひよろしくお願いいたします。